非常時を考えるその2

非常時の心構え

前回は災害に備えた備蓄についてと、キャンピングカーは災害時のシェルターとして使えると言う事を書きましたが、危機管理の達人P氏にキャンピングカーをシェルターとして使うことのリスクや、食料を備蓄するときの極めて重要な注意点を教えていただきましたので、それについて書きたいと思います。

その前にまず非常時の自宅での防衛について話していただいたことから書きます。
パニック映画などで人類の終焉が近づいてきたとき、人が暴徒化するシーンが描かれるように、天変地異などで自己の命が危険にさらされ、豹変してしまった人間には良心など微塵も存在しなくなると言います。
それらを念頭に、P氏の話を極端だとか大げさだとか思わずに、一度で良いのでぜひ読み進めてみてください。

赤文字はP氏の発言 
青文字は私の考えと補足です

自宅の警備体制

自宅が集合住宅か戸建てかで警備体制は変わります。
一般的戸建ては複数の本気の侵入者を相手に守り切るのは大変です。
侵入を試みる者を殺す気で迎撃できる男性が侵入経路の数だけ必要ですから。
その点、高層階(四階以上)ならベランダ経由で侵入する事は、訓練や装備の無い素人暴徒にとって至難の業ゆえ、防御を玄関に集中できるので守りやすさは格段ですね。
もちろん隣の部屋に侵入してベランダ伝いの侵入もあり得るので、ベランダの状況確認は必要ですが。

キャンピングカーによる避難のリスク

「キャンピングカー」の場合、本気で「殺してでも奪おう」という複数の暴徒から身を守るのは大変難しいです。
向こうは車自体を壊すことに躊躇が無いので窓を片っ端から破壊して中に発煙筒を投げ込めば終了。
場合によっては火炎瓶を投げ入れてくるかもしれません。
そういう意味では緊急避難用に使うなら、全ての窓を様子見窓(内側からのみ開閉可能)を小さく作った鉄板で補強し、モノの投げ入れを防ぐ装備が必須になります。

内側からは「ボウガン」「槍状の刃物」等で応戦。
威嚇など緩い事を考えず、確実に最初から殺すつもりで顔面、首などを攻撃して下さい。
それができなければ、その手の暴徒に何をされるかは言わずとも想像できると思います。

このイメージは装甲車でしょう。
ですが、実際のキャンピングカーは仮に鉄板で装甲したとしても小回りが効かず、元々挙動が緩慢で高い車高のせいで横の力には極めて弱く不安定なので、暴徒に襲われたらひとたまりもないでしょう。

なりふり構わない暴徒

いいですか、「鬼畜」と戦う時は自分も「鬼畜」になってください。
自分や大切な人を守るためには自身が鬼畜になることを嫌がってはダメです。
自分が鬼畜の存在に成り果てて、たとえ地獄に堕ちても、それで大切な人が守れるなら本望でしょう。


鬼畜と言う言葉には抵抗を感じるかもしれませんが、実際追い込まれた人間は鬼畜と言えるほどに豹変すると言うことなのでしょう。
また、死に物狂いで襲ってくる相手にはきれい事は一切通用しないと言う事ですね

備蓄時の心構え

世の多くの「農作物作り」を個人で楽しんでいる方々って、私から見ると「生鮮食料品のストック」なんですよ。
本当に必要になったら頂きに伺います。
もちろん丁寧にお願いしますが先方に断る選択肢はありませんね。
無防備の個人宅など駄菓子屋で万引きするより簡単ですから。
ですから自分の備蓄に関しては、絶対に備蓄品の量や場所を他人に教えちゃダメです。
できれば自宅に何を備蓄しているかも秘匿するのが正解なんです。
私は仮に自己を過大評価した暴徒が奪いに来ても、余裕で迎撃できる自信があるから備蓄品の詳細を公開出来るのです。

P氏の場合は日頃から鍛錬しているので、様々な事象に冷静にしかも瞬時に対処出来ます。
ここでP氏が自身の事のように話していることは、暴徒が起こす行動だと思って良いと思います。

「キチ○イに刃物」と言うように鍛錬を積んでいない人でも武器を持ち、なりふり構わなくなってしまうと、ある意味鍛錬を積んだ格闘家より恐い存在になるのではないかと思います。

P氏によるまとめ

こういう覚悟って一朝一夕では中々難しいと思います。
毎日毎日こうした緊急事態を脳裏に浮かべ、戦う場面を想像して下さい。
自分が躊躇ってしまい結果的に大切な人が傷つく場面を想像して下さい。
酷い殺され方をする場面を想像して下さい。
こうした精神的訓練の積み重ねが、日常の平和のありがたみを実感させ、非常時に覚悟を決めて戦う精神力を育ててくれます。

最近の出来事では

新型コロナウイルスの世界的蔓延で世の中が混乱しています。

この記事を書いた時点では、ようやくワクチンの供給と接種が始まってきており、今度はいち早くワクチンを接種したいという人が殺到し、軽く殺気立っているようにも感じます。
さらに、都合の良い屁理屈と自己の立場を利用し、抜け駆けしてワクチンを接種する「自治体の長」まで現れ始めました。
自治体の長がこんな感じだと、世の中が本当の意味での緊急事態に陥ったとき、国や自治体はどこまで一般市民のことを真剣に考えてくれるのかと思うと、私は疑いの目しか持てません。

私のまとめ

今回P氏と話して私が気づいたのは、非常時にキャンピングカーを個人のシェルターとして安全に使えるのは、被災直後のごく初期の一時期だけなのかもしれないと言うことです。
避難生活が長引いてくると、キャンピングカーで生活していることそのものがリスクとなってしまう気さえします。

今回のP氏の話はかなり極端で現実離れしていると感じた方がほとんどだと思いますが、それはもしかしたら平和ボケしている証拠なのかもしれません。
P氏は長年の鍛錬から起こりうる様々な事象を想定しています。
しかも、P氏に言わせると今回の話の内容はごく一部でしかもかなりマイルドに表現しているとのこと。

不安で劣悪な状況が何日も続くと人の心はどんどん荒んでいきます。
そうなると、キャンピングカーで悠々自適な生活している(様に見える)事に妬みを抱き始めるのが普通なのではないでしょうか。
そして、非常時に備えなかった自分の事を棚に上げて、「あいつらはこんな時でも自分だけ良い思いをしている」みたいな感じで、逆恨みすら覚える人が出てくるかもしれません。

ただでさえ存在が目立つキャンピングカー。
キャンピングカーの中には十分な食料の備蓄とトイレ、シャワーなど快適に過ごす設備があると思われてしまう事で(実際はそれほど豪華な設備を備えている物は少ないのですが)それを力尽くで奪おうと言う人が現れてもおかしくありません。
そうならないためにも、非常時は自分のキャンピングカーを多くの人に使ってもらうために提供するくらいの深く広い度量が必要になってくるのかもしれません。
もしそれが出来ないなら、非常時は人がいないところまでとっとと逃げるしか無いのかもしれません。

人によっては「ここまでのことはあり得ない」と思うかもしれませんが、あり得ないことが起こってしまうことが非常時なのだと思います。

このたびの新型コロナウイルスの長期的な大流行も、事態をあまりにも軽視した日本政府がしっかりとした対策を取らず、初期対応を大きく誤った結果が主原因だと思います。
また、まだ収束にはほど遠い福島県の原発事故がそうであるように、起こるはずのない(と根拠もなく思っている)ことが起こってしまうから大惨事になるわけで、常に最悪の事態を想定して可能な限り準備をしていくことが危機管理の基本だと思うのです。

この記事に書いてあることなんて起こるはずが無いと思っている人が殆どでしょう。
でも本当にそうでしょうか?
東日本大震災の時、流通が途絶える前に店頭から食料品が一瞬で消えてしまったことを覚えている人も多いと思います。

例えば、とあるデマが原因でトイレットペーパーが日本中の店頭から消えてしまった事も記憶に新しいと思います。
また、どこかの首長の「新型コロナウイルスにはイソジンが効く」などと言う根拠の無い無責任な発言で、うがい薬が店頭から消えてしまいました。
そして、新型コロナウイルスの影響でマスクや消毒液、体温計などが品薄になったと思ったら、それを良いことにそれらを買い占めて高額で転売する事象が多発しました。

今まで、たまたま惨事につながらなかっただけで、もしかしたら一歩違っていたら暴動につながっていたかもしれないような気さえします。
このような事案を振り返ってみると、人間の心の底には他人よりまず自分が優先という絶対的な真理が存在していると言えそうです。
それは極端な言い方をするなら、自分さえ良ければ良いと言う事かもしれません。
でも、それが誰にも存在しているのが人間の本来の姿なのだと思います。

人を信じられないというのは悲しいことだと思いますが、自分や自分の大切な人を守るためにはもしかしたら安易に人を信用してはいけないのかもしれません。

世の中がいつまでも平和であることを願ってやみません。

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